この製作日誌もしばらく止まっていました。エピソードがリアルタイムに追いつく前に、それどころじゃない状況になっていたからです。
ただ、世の中のすべての人が「それどころじゃない状況」だったわけで、たかが神威杏次の、たかが映画製作に関して、それらをあたかも苦労話のように語る神経は自分の中にない。バッサリ割愛して墓場まで。あんなこともこんなことも、もう棺桶の奥にしまっちゃいました。
さておき…
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神威組が「チームになった。」
今回の撮影で最も強く感じ、そして最も嬉しかったのが「チームになった神威組」だった。2018年の短篇二本から2019年の『ハートボイルド・フィクション』までは、随所で「神威がほぼひとりで映画を作っている」と評され、実際にその通りでした。
撮影期間中こそ、全員一丸で撮影に挑むことになりますが、それ以外の期間は、企画からロケハン、制作、準備…撮影後は宣伝、クラウドファンディング(前作は映画製作後の実施)…と、ひたすら孤独な作業が続きました。それは、単に作業的にひとりという意味だけでなく、プロジェクトに相当な熱量を持って心血を注ぐ人間が自分しかいないという類の孤独感。「映画は監督のもの」と良く言われる。否定はしないし、全員で作り上げる感が強い演劇に比べて、一体感を得にくいのも確か。仕方ないとは思いながらも、正直、寂しい気持ちはあった。
しかし…
最強の「現場専任スタッフ0人」
撮影に入る前から、僕がグループLINEで「部屋全体に羽毛を飛ばしたい。安い羽毛を大量に欲しい」と相談すると、萩原佐代子さんが「こんなのがある」と通販のリングを教えてくれる。「小学校二年生くらいの子役の女のコなんて、いないよね?」とダメ元で話しかけると、加賀谷(崇文)君が知人夫婦に話をしてくれ、段取りを進めてくれる。ハギー(萩田博之)やはっちゃん(蜂谷英昭)は、常に「こういうのあるけど必要?」と、随時、相談や提案をくれる。昨年までにはなかったこと。
ふと思いました「あれ?ひとりじゃないぞ?」
そして、いざ撮影が始まってからも、スタッフ兼任メンバーの動きが本当に素晴らしく、僕がなにか言う前から、次の動きを見越して準備を進めてくれる。カメアシと言われる「撮影助手」的な仕事は重要で、昨年までは三脚の足を全部自分で伸ばしたり縮めたりしてたのですが、これ、誰かが手を貸してくれるだけで本当に助かるのです。
また、神威組も三年目となり、自分も含めた常連組が「学習」していました。つまり、僕が現場に用意していくものに「きっと××が足りない」「これ、自分が用意しなければ、きっと神威さんは持ってこない」等、僕が、優先順位を低めに考えがちで、でも絶対にあったほうが良いモノ…を周りがキッチリと把握してくれているのです。
例えば、現場でみんなが飲むドリンク類。僕は、直前のコンビニでペットボトル数本と紙コップは買っていって「これで良し」なんです。でも、そこでは、みっちゃん(坂本三成)が「温かいコーヒーが飲めたら、絶対みんな喜ぶ」と、自前で、コーヒーセットを持参してくれる。壮絶な撮影現場で、ほんのひとときの温かいコーヒーに、みんなが癒される。
普段、周りにめちゃくちゃ気を遣う神威ですが、いざ現場に入ると「映画を作る」以外の物事の重要度が普段の2%くらいに下がるのです。「映画を作る」のに必要なこと以外に、興味も気を遣う神経もなくなります。それでも、「ヘッドホンをつけたまま、演出のために前に出るとカメラが倒れそうになる」ことや「スマホと財布はどこかに置いておかないと絶対に失くす」ことは学習していました。
そこらを常連メンバーがフォローしてくれる。僕らは学習により、昨年にくらべ「同じ時間」「同じ条件」でも、実質的には倍くらいの効率と精神的な余裕を持って、現場を廻せるようになっていた。
そして、そんな中、本当に助かるのが「映画を作る」部門に関して、自分と熱量を共有してくれる人間が現場にいること。
ある日のこと、現場撤収まで残り20分、時間との闘いになった最終カット。時間がなくなり、僕が「このカットは欠番」と宣言した後にも拘わらず「1分でやれます。撮りましょう」と進言してくれたのはハギー(萩田博之)。それは「絶対必要なカットです」という意味だ。「ハギーがそういうなら間違いない。じゃ、やろう!」となる。そして、僕が想定したギリギリの撤収時間20分は15分に短縮され、見事に撤収が完了する。そして、そのカットは後から見ると、本当に「絶対に必要なカット」なのです。「撮ってて良かった~」です。
映画のクライマックスを撮影していた時のこと。細かく大量のカット撮影の終盤、自分も含めて全員にあきらかに疲れが見える。ほぼ予定のカットは撮り終えている。アタマの中で本日撮ったカットを走馬灯のように思い出しながら「本日終了」コールを発するかどうかの判断中。俳優陣は完全に「本日終了」を待っている態勢。その時、ハギーが僕の耳元で小声でささやくのです。「あと20分やれます(終わりとは言わないで)粘りましょう」と。僕は無言で目でサムズアップをします。
そんな現場の熱量は感動的ですらあり、暗い帰路を走る車のハンドルを握りながら、心の中で「最強の『専任スタッフ0人』だ」と感じてました。
『ハートボイルド・フィクション』からのステップアップ
2019年の製作費は50万円。それは、本当に「何も贅沢できない」レベル。当初からギリギリのスケジュールを組み、なにがあろうがその中で撮り切るしか選択肢はなかった。さらに天候に悩まされ、撮れるはずのカットが撮れず、やろうとしたことができず…のオンパレード。しかし、そんなことは当然の想定内、最初から「なにがあっても条件内で撮り切る」と覚悟して作った映画だった。だから言い訳も後悔もない。「ハートボイルド・フィクション」は、僕らのある時期の「今できること」を具現化した、かけがえのない産物に違いない。けど、本音を言うなら、やはり悔しい。あと少し時間があればできることが、あきらかにできていない状態にも拘わらず「OK」とコールしなければいけないことが、本当に悔しかった。
必要なのは【時間】だけ。
本作の構想時、まずはこの「雪辱」を心に誓いました。「必要なのは専任スタッフでも機材でも技術でもない、ただただ『時間』だ。」ある程度の時間の余裕さえ確保できれば、製作スタイルを大きく変革する必要もなく、スタッフを呼ぶ必要もなく、今の神威組で「ハートボイルド・フィクション」から大きくパワーアップした映画が完成する。その確信があった。映画にとって「時間」はつまり「製作費」なのですが。
当初の撮影日程は、ご存知の通り、コロナ渦の直撃を受け、度重なる予定変更と超過していく製作費にビビりながら、そこも、チームとしての熱量を信用できた今回だから、何度予定が変わろうと、どれだけ遅れようとも「絶対に撮り切れる」と確信していました。
そこから、例年にも増して、我ながら異常な超速で「やるべきこと」を進めてきて、現在に至ります。
思い切りリアルタイムなことを書きますが、本日「sideB」もМA音声が届きました。さて、完パケに向けた再編集に入ります。
残り時間は少ない。棺桶の奥のスペースには、まだ少し空きがある。