映画『アンナ-Anna-』完全ネタバレ解説

 映画『アンナ-Anna-』完全ネタバレ解説。

「ん?どういうこと?」な方のために…、

 興味のない方にはまったく面白くないお話ですし、映画をご覧いただいていない方には「?」な内容ですが。。ご興味のある方は、おつきあいください。

 さっそく、より重要な、大きな部分の設定解説から…。

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◆アンナは実在しない。

 アンナは、イズミが幼い頃から見ている「幻影」です。前半で、イズミが殺し屋ボギーにアンナについて話すくだりがあります。「キレると見境がなくなる」「あんな性格だから敵が多い」「いつも後から後悔するくせに」「不器用なのよ」「そんな時には大嫌いになる」と語っているのは実は『自分自身の話』です。

 但し、イズミにとってアンナは実在します(と思い込んでいる)。だから、本人には、嘘をついているという自覚はありません。

 幼いころ、なにかと問題を起こしては親や学校の先生に怒られてきたイズミは、いつしかアンナという存在を自分の中に作り上げ「やったのはアンナよ。私じゃない!」と自分に言い聞かせるようになりました。

 二重人格並みの二面性が強くあったイズミは、片方の「大嫌いな自分」をアンナという存在によって分離し、無意識に、自分の中から追い出そうと戦ってきたのです。

◆アトリエの出来事は、すべてがイズミの「作り話」。

 運転手の中島、絵描きの裕也は実在しません。顔を見た奴は殺される…という恐怖のボスも存在しません。

 イズミには、上記のアンナ幻想とは別に「虚言癖」「妄想癖」があります。これもまた、イズミには嘘をついているという自覚はなく、息をするように嘘を話しながら、どんどん自分自身をも騙していきます。

◆じゃ、探偵や二人目の殺し屋ミッキーが聞いていた「真相」はなに?

 最後の真実「すべて作り話だった」のネタバレ前には「アトリエにいた人間は四人ではなく三人」「アンナの行動は実はイズミの行動だった」という『2つ目の真実』が語られます(ひとつ目の真実は「アンナが組織のボスだった」)。その時点で「作り話」だと知っているのは探偵だけです。ミッキーは、そこまでは知りません。

 これは…イズミの自作自演の妄想劇に惑わされて、周囲の人間たちが動いた結果です。

 殺し屋ボギーを派遣したのは実在する(なんらかの)組織です。ボギーは、自分でも言っている通り「余計な情報は聞かない」主義。依頼主からは何も聞かず、ただ「そこにいる女を殺す」目的でカフェに来た。

 イズミが、なんらかの妄想から実在の組織をも巻き込んでしまい、実際に命を狙われる事態を招いてしまったのですが、そこでもまた「アンナが悪い、私じゃない」との思いから、匿名で探偵に電話をかけ「恐怖のボス」「ボスの似顔絵」等、劇中で登場する作り話をした。その話の中にはイズミは登場しません。「アトリエにいた人間は三人」のヴァージョンです。自分自身の似顔絵を探偵に送ったのもイズミ本人。目的はもちろん「私じゃない。アンナが悪い」にするため。

 カフェでボギーに話す時点で、物語にイズミが登場して「登場人物が四人」になったのは「追われてるのは私じゃない。アンナ。」にするための改変。

 かといって、イズミは、ただ追われる身から安全に逃げたかったわけではありません。「アンナ(=イズミ)はアトリエから逃げてカフェにいる」という情報を流したのもイズミ自身ですから。イズミは、もはや病的に「すべての事態を楽しんでいる、弄んでいる」のです。どこまで、本人の中にその自覚があったかはさておき。

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◆「あ、バイトいかなきゃ」

 イズミの最後のセリフ。

 イズミは、本来は危ない世界とは無縁の、ただのフリーターです。

◆難病の娘

もちろん妄想です。

◆殺し屋・ボギーの動機【重要】

 この映画のなんたるかをわかっていただくには、最重要な部分です。

 ボギーは「冷徹な殺し屋」です。本来なら、相手の事情なんて聞く耳を持たず、感情を排除して仕事を遂行しさっさと帰るはずです。それをしなかったのは「イズミの寝顔に一目惚れしたから。」この設定が、映画の最もキモな部分。それがなければ、冒頭でイズミがボギーに撃たれて、映画は2分で終わってます。

 後半でボギーが探偵に渡される本は、心理学者クリストファー・ユングの「RED BOOK」。開いているページは有名な「ペルソナ」と「シャドウ」。脚本には「人は生きるために仮面を被る。やがて、仮面が外れなくなり、本当の自分が何者かわからなくなる。」という探偵のセリフがありました。編集でカットしちゃいましたが。

 冒頭のシーンで、ボギーは「じゃ、話を聞いてやる」と言いながらサングラスを外します。本来なら、殺しの現場で素顔を晒すなんてことは絶対にしないはずです。あれはボギーが「仮面を外した」ということ。つまり、殺し屋ではなく、すでにひとりの男性になっていることを現すメタファー。

 この映画は、自らの二面性(仮面)に苦しむイズミの物語であると同時に、「今まで、いかにも殺し屋らしく(仮面を被って)生きてきた」ボギー、人を好きになったことで、純真なひとりの男性に戻る物語。

 ボギー目線、男性目線での「恋愛物語」

 イズミにどんな感情があったかはさておき、少なくともボギーにとっては間違いなく恋愛で、ラスト前、アトリエで笑い転げるシーンは、騙されたとか嘘をつかれたとか100万円損したとか、損得も超越して、ただただ自分が惚れた女が「無事だったこと」への安堵の笑い。純愛、無償の報酬、みたいなこと。

 同時に「仮面を被ることで苦しむのであれば、いっそ外してしまえばいい。本来の君自身で、堂々と生きればいいんだ。」という映画から皆様へのメッセージです。

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◆探偵とミッキーの動き

 イズミから匿名の電話を受けて「アトリエにいたのは三人。アンナは遠くに逃亡した(あるいはアトリエで焼け死んだ可能性も)。」の物語を聞かされた探偵は、当然、裏を取ろうとします。すると、まず、アンナ(=イズミ)を狙うよう指示された予備の殺し屋・ミッキーと出会った。探偵はミッキーに「アトリエに三人…」の話をします。その時点では探偵も、最後の真実までは知りませんから、そのままミッキーと別れます。

 

 探偵がさらに調査を進めると、燃やされたはずのアトリエは当然燃えてないですし、早い段階で嘘にきづきます。そして、送られてきた似顔絵からイズミを割り出し調べたところ、イズミにとっての「アンナの存在」や「虚言癖・妄想癖」についても知るところとなります。

 探偵は、訪ねてきたボギーに、最初はすべての真実を話さずに済まそうとしました。しかし、思い直して「(本当の真相は)自分の眼で確かめてくる」よう進言します。ここの流れも詳しくはのちほど。

◆殺し屋・ミッキーの仁義

 カフェで、イズミたちと合流した殺し屋ミッキーは「アトリエに三人」の話が真実だと思っています。作り話だということまでは知りませんが、イズミがアンナと同一人物であること、イズミが嘘をついていることはわかっています。ただ、そこであえて「アトリエに四人」の嘘に話を合わせた。おそらく最初は、単純に、イズミの真意を探るために様子をみて嘘につきあっていたと思われます。ただ、そのうち、イズミの病的な部分と、ボギーがイズミに惚れていることに気づきます。

 イズミへの哀れみもあったと思われますが、メインはボギーへの男同志の仁義です。女に惚れて女を信じている男に、自分が率先して真実を暴く理由もない。ボギーの夢を壊す必要はないのです。

 同時に、ボギーにとって(というより人間にとって)「知らないままでいる幸せ」があることも当然わかっている。真相を知らせることがボギーにとって幸せかどうかの判断は難しい。第一、そこにわざわざ係る理由がミッキーにはない。

 結論として、ミッキーは二人を「見逃して」去っていきます

 余談になりますが、さらに、ここでひとつの仮説も浮上します。ミッキーが二人の前で語る「真相」は、もしかしたら、イズミが探偵に話した物語とも、また違うストーリーであるかも知れないです。それによってイズミが動揺したように見えるシーンもあります。そこは、設定上「どちらでもいい」の部類。いかようにも解釈してもらってよい部分です。

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◆後半の探偵とボギー。

 カフェにイズミを残し、ボギーは、キーパーソンである探偵の元を訪れます。探偵は、訪ねてきたボギーを通じて「イズミとミッキーが話した物語」を確認します。そして「彼(ミッキー)がそういったんですね?」と確認をします。そこで探偵は、ミッキーが取った行動の意味をくみとり、同じ想いを共有しました。つまり、ボギーへの仁義です。

 探偵の場合は、そこでまず「2つめの真実」を話す判断をしました。「アンナは実在しない」という真実ですね。ミッキーの状況と違う点は、目の前にいるのがボギーひとりということ。すでに、ボギーはイズミと別れてここに来ている。そして、おそらく彼ら(ボギーとイズミ)は二度と会うことはないだろうと推測したからです。ミッキーが「夢を壊さないでおこう」としたとすれば、探偵は逆に、イズミへの想いで苦しんでいるボギーを見て「夢を壊して、苦しみから解放しよう」としたのです。言葉は悪いですが。

 そこで、探偵にとって意外だったのは、それでも…自分が騙されていたことを知った後でも、ボギーがイズミを恨むでもなく、彼女の身の心配を口にしたことです。

 冷徹な殺し屋だったボギーが、すっかり純真な男性に戻っていることを確認し、探偵は最後の真実も明かすことにした。


◆映画のテーマ「真実はひとつじゃない。」

 探偵は、あえて最後の真実を言葉で説明せず「燃やされたというアトリエに行ってみてください」とボギーに進言する。「それは、自分の眼で確かめろと(いうことですね?)。」とのボギーの言葉に、探偵は安心したように微笑みます。
 
 『真実はひとつじゃない。自分の目で見た真実を信じればいい。自分の感覚や想いを信じればいい。誰がなんといおうと。』

 

 『他人が何をどう言っていようが鵜呑みにするな。すべては自分の眼で確かめて、自分で判断するんだ。』

 …という、映画から(神威から)のメッセージです。

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おまけ

■二回見ないとわからない?小ネタ集

◆嘘のつきかた講座?

 序盤、ボギーはイズミの身の上話を聞きます。「旦那は?」「いない。」「なんで?」という流れから、イズミは「なんでって、いないものはいないのよ。」と答えます。続いて、難病だという娘の病名を聞かれて「いってもたぶんわからない。私も初めて聞いた(珍しい病名だから)。」と答えます。

 一般的に、嘘がバレる時って、最初の嘘そのものがバレるのではなく、嘘を隠そうとして上塗りしたあらたな嘘が「なにかおかしい」となってバレるんですね。

 だから、嘘がバレないようにするコツは「堂々と言い切る」「あらたな情報を出さず」「『それ以上聞くな』というムードを漂わせる」こと。

 この時のイズミの口調がまさにそうです。

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◆イズミが投げたジッポライターと、ミッキーの怪訝な顔

 カフェで、ミッキーが煙草をくわえて火を探す、が、ライターがない。それを見たイズミが、自分の持っていたジッポのライターをミッキーに投げます。ミッキーはジッポを受け取りながら、怪訝そうな顔をする。それは、ミッキーが聞いている話の中で「アンナ(=イズミ)が、ジッポライターを投げてアトリエに火をつけた」エピソードがあるからです。ミッキーは、投げ捨てたはずのライターがここにある?イズミはライターを二つ持っていたのか?などと、一瞬、考えを巡らせたのです。

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◆アトリエに置いてあった本

 最後、アトリエを訪れたボギーが2冊の本をみつけます。1冊は、前日に探偵のところにあった心理学者ユングの「RED BOOK」、その傍らに「虚言癖と妄想癖」の本。その2冊は、探偵が、アトリエに先回りして置いて帰ったものです。

 確実にボギーに真実を伝えるために、ヒント(答え?)として置いた。そして「虚言癖の本」にきづかせるように、目立つほうの赤い本を立てて置いたのです。

 探偵は、前日「アトリエに行って見てください」のセリフの後に、外の暗さを気にしながら「明日にでも」と続けます。「明日にでも」の真意は、外が暗くなったからではなく、自分が本を置きに行く時間が欲しかったから。

◆柴犬

 アンナは「柴犬を飼っている」という設定です。これはイズミの作り話、かたや、カフェで寝ていたイズミが枕がわりにしていたのが柴犬のぬいぐるみ。真実は、柴犬を飼っているのではなく、柴犬のぬいぐるみを持っているということ。

 ちなみに、柴犬はシバイヌと読みますが、ほぼ半数の人はシバケンと読むらしい。シバケンと読む人も多いために「どっちでもいい(どっちも正しい)」とされています。ちなみに、本当に柴犬が好きで飼っている人ほど、正式名称のシバイヌと読む傾向にあり、飼っていない人はシバケンと読む比率が高いそうです。イズミ(アンナ)は、柴犬をシバケンと読んでいます。

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短編映画「アンナ -Anna-」

脚本・監督・撮影・編集:神威杏次

出演:平野尚美、萩田博之、坂本三成、蜂谷英昭、丸山莉奈、福原龍彦、神威杏次

(2018年 29分)


▼あらすじ・撮影秘話等

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Anna(c)kyoji kamui 2018